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2007/07/14 (Sat) エリート意識

 
『一つの共同体として、彼らは人類を暗黒から啓蒙の新時代へと導くため、
 選ばれたのだと感じている。
 カルトのメンバーたちは、強い使命感だけでなく、自分たちは歴史の中で
 特別な場所を占めているのだと強く意識している。』

(マインド・コントロールの恐怖 スティーブン・ハッサン著 より)

カルトグループのメンバーは、
「自分たちはエリートだ、神または仏によって、選ばれた特別な人間だ」
と自分を意識しています。

 
なぜならば、この世界で唯一正しい、本当の幸福を説いている、
ただひとつのグループのメンバーなのです、と教え込まれるからです。

わたしが在籍していたグループでも、エリート意識をみな持っていたと思います。
2世は「福子」と呼ばれ、過去世に福運を積んできた人なんですよ、と教えられます。
また、「地湧の菩薩」なんだとも言われます。
この世界に、正しい法を布教するために湧き出てきた菩薩、という意味です。
メンバーは、この菩薩であると、教え込まれるのです。


振り返ってみると、わたしもグループに在籍中は、傲慢なところがあったなぁって
恥ずかしくも申し訳なく思ったりします。
何しろ、メンバーであることで、たったひとつの本当の幸福を手にしているのだ、っていう大きな勘違いを信じ込んでいたのですから。

その幸福の実態は幻なのですが、それでもメンバーのエリート意識は、
彼らの行動を正当化するには充分なものなのです。


また、ハッサン氏は続けています。
『自分たちがこの世の誰よりも善で、知識と力があるのだと思う。
 その結果、カルトのメンバーはしばしば、
 いままでの人生のどんなときに感じたよりも責任が重いのだと感じている。
 世界が彼らの双肩にかかっているように感じて歩き廻る。』

そうですね。
グループは、この世で唯一の正しい法を持ち、それを人類に広める使命を担っているんです。
つまり、メンバーひとりひとりは、世界の平和と幸福の責任を、その小さな肩に背負っているわけです。

これも幻なんだけれど、幻にしては物凄く重たい幻ですよね。

メンバーは、人類を救うために、グループの正しさを証明しなければいけません。
「実証」を社会に示すために全力を尽くし、グループの活動に全力を尽くし、責任を果たすために全力を尽くしてがんばります。


エリート意識は、裏返すと他者蔑視につながります。
勧誘対象者などには優しい態度でも、他の宗教をしている人、また批判する人に対しては、平気で見下すのです。
機関紙などにも、その特徴は現れているのではないでしょうか。


わたしも、そんなエリート意識と重たい責任感から解放されたのかどうか、
それが脱カルトにとって重要なんだと、忘れないように気をつけてはいるのですが。
実際、どうなんでしょうね…
エリート意識は、まぁこんな平々凡々な一般市民ですのでもうないですが、
責任感はまだ心の奥に転がっていそうです。

そうか。
「生命」と「人間に対する責任感」
これらからまだ、解放されていないのかもしれませんね。

ひとつひとつ、コツコツ進みましょ。



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comment











管理人のみ閲覧OK


 

みみちゃん

こちらこそ、ありがとうございます(^ー^)

2007/07/20 22:25 | 散歩虫 [ 編集 ]


とりあえず、ありがとう 

>過去、自分が知りえた情報の中で、一生懸命に生きようとしてきた。
そして今、知りえた情報を元に、一生懸命に生きようとしている。
きっとそれは、メンバーに限らず、誰でもそうだと思います

ああ・・いい言葉ですね。
じーんと胸に染みました。

何よりの励みです。

ありがとう。
嬉しいです。

2007/07/20 08:10 | みみちゃん [ 編集 ]


 

みみちゃん

「うん、話しています。」の追記

話していると言っても、相手によって話すことはかなり選んでいます。
それと、癌を持っているメンバーの友人が居るのですが、
彼女にだけは何にも話せません…
もし気持ちが不安定になって、癌が進行しちゃったらやだなぁって思って。

念のため、書いておきます。

2007/07/19 23:26 | 散歩虫 [ 編集 ]


 

みみちゃん

>散歩虫さん、友人に話してるんですね?

うん、話しています。
でも話せる人は、やっぱり限られてしまいますけど。
脱会直後は、もっと話していました。
あの頃は、まだ、バカみたいに単純で素直でしたから(笑)
ちゃんと話せばわかってくれるって、思っていたんです。
青かったというか、甘かったというか…
話していくうちに、「散歩虫さん、幹部と話したほうがいいよ」って教宣部の方に連絡されちゃったり、
不快にさせてしまって疎遠になってしまったり。
他のグループのメンバー(宗門問題のときに講に行かれた方)に話したら、思いっきり折伏されちゃったりもしました。
まぁ、とにかく、いろいろありました…。


>「こんなふうになったのは、私の宿命。私に福運がないから。全て私自身の業。」
>「だからこそ、今、福運をつけるしかない。福運をつけるには活動以外にない。」
>グループの先輩や幹部からも、そう言われ続けてきました。
>ここ数年来、私の活動のモチベーションは、ただそれだけだったかもしれない。

たぶん、活動されているたくさんの方のモチベーションも、同じものでしょう。
わたしも同じように、宿業という名の罪を抱えて、自分を責めていましたし、すべての出来事の原因を、自分の業に還元しちゃっていました。

みみちゃん、大変な中、役職をされてきて、本当にお疲れ様でした。
また、役職を降りられて本当に良かったですよね。(変な言い方ですが)


>みんな(幹部)「困る」と言うんですね

これも、自分(幹部)が困ってるだけですよねぇ。
メンバーが、元気に幸せそうな顔をしているのか、それとも疲労困憊しているのか、見てわかりそうなもんなのに。



>夫にも、子供達にも・・聞いた全てを話すことはできない。

お子さんが大きいようなので、難しいところですよね…
すぐに話すことができないのも、無理もないと思います。
デリケートな問題ですし、慎重に、焦らず時期を見てでいいのではないでしょうか。

実は、今回のコメントを読んで、ちょっと泣いちゃいました(笑)
ウチも自営なんですよ。
ですので、お気持ちが察せられるところが多々あって。
よくここまで、お子さんを育てていらしたなぁって、こちらが励まされる思いでした。
ウチはまだ小学生なので、まだまだ先が長いです。
そういう意味でも、みみちゃんは子育ての先輩です(^ー^)

そして、これは家族みんなの問題ですので、みみちゃんひとりが背負わずに、ご家族みなで助け合って立ち向かえる体制が整う日が、早くくればいいなぁって思います。
グループの価値観抜きで、ご家族の関係をこれから作っていくことができるのも、新たな「自由」の経験ですよね。


>嫌なことは、嫌なものは、全て「反面教師」にしていく。

まったく、まったく、その通りだと思います。



そうそう、大事なこと。
>それは、誰を責めることもできない。自分で考えて、信じて、そうしてきたことですから。

誰も責めないなら、自分自身も責めちゃいけないって、思うんです。

過去、自分が知りえた情報の中で、一生懸命に生きようとしてきた。
そして今、知りえた情報を元に、一生懸命に生きようとしている。
きっとそれは、メンバーに限らず、誰でもそうだと思います。


「知らなかったことの罪」がもしもあるのならば、
グループには、「知らせなかった罪」がありますよ。
また、「知ろうとすることを阻む罪」も。


2007/07/19 23:07 | 散歩虫 [ 編集 ]


ちょっと長いです 

散歩虫さん

なんか「う~ん、なるほど・・」と納得できるお返事ばかりで、よく分かります。

とても気持ちに染み込みやすい感覚で、それに馴染んで書いてたら長くなりました。

>やっぱり、親しかった友人(現役メンバー)なんかには、自分が知ったことを話したりするじゃないですか。
そうやって話して、自分の家に帰ってきて、なんとも言えない気持ちになります。

散歩虫さん、友人に話してるんですね?
そうですか・・
私はまだ、ほとんど誰にも話してはいません。
夫にも、子供達にも・・聞いた全てを話すことはできない。

私には、「知らなかったことの罪」がある。
それは、誰を責めることもできない。自分で考えて、信じて、そうしてきたことですから。
全部、自分の意思でそうしてきたんですから・・

家族は直接関係しあって生きてるじゃないですか。
ウチは夫が自営で、7、8年前くらいから思わしくなくなって・・
そういう場合、どこの家庭も共働きをしますよね、普通に。
でもグループ特有の解決策にずっと拘ってしまった。

「こんなふうになったのは、私の宿命。私に福運がないから。全て私自身の業。」
「だからこそ、今、福運をつけるしかない。福運をつけるには活動以外にない。」

グループの先輩や幹部からも、そう言われ続けてきました。
ここ数年来、私の活動のモチベーションは、ただそれだけだったかもしれない。

それでもどうにもならなくて、後ろめたい気持ちを抱えながら短時間の仕事を始め、でもやっぱり生活は苦しい。
「仕事を始めたから良くならないのか?」そう思いながらも、活動に支障をきたさない仕事を・・と、更に時間を増やして働いて。
すると段々、活動どころではなくなってくるんですよ、実際。
とてもじゃないけど夜の活動なんて夕飯も食べずにでないとできない。

活動が減っていくと幹部が指導に来ますからね。
いつも夜、忙しい時間帯に来るんですよ。「ちょっといい?」って。
会合の連絡やら報告やら、私の頭の中からはぶっとんでることを聞かれて、忘れてたと言うと「それだと困る」と。

よく考えると、みんな(幹部)「困る」と言うんですね。みんなに迷惑が掛かる、とも。
なんかおかしいですよね。信仰なんて自分の意思の中における行為なのに。

でもそんなこと言われても、こちらは生活かかってますからね、「ダメだ。誰も分かってくれない。」と。
で、うまくいかない時は何をやってもうまくいかないもんで、いい仕事があって転職できそうなところで頓挫して、それからもう悪循環。
もう仕事はダメだ・・
で、やっぱり活動なんだろうと、心入れ替えやればやるほど、これもやっぱりダメ。

祈りが「不思議な力を得る」ためのものではないと知らされてから、確かにそうだと理解できてから、私は今まで、「不思議な力」で環境を、状況を変えていく、自分を取り巻く事態の変化をもたらすことを願う、そういう依存的な思いがなにか「大事なもの」に感じられて、気持ちの中にずっと抱えこんでいた・・そんなふうに思えました。
でもやっぱりそれは違うんだ。生きていく上で自分が具体的にしなければならないことは当然のようにあるわけで、それは社会で生きている他の人達となんら変わりなく自分もまた「人と同じ」経路を歩むわけで、特別な状況の変化が「私の身の上だけに起こる」というのは、それこそ矛盾で、それを願うなんていうのは、やっぱりどう考えても逃避だし、エゴだ、と。

少しずつ目が覚めてきたような気がしますね。

よく考えれば家計が苦しいのはどこの家庭もみな同じで、だから子供が小さいうちからも共働きでみな頑張っている。
うちは子供3人でしたからね、長女はもう独立したのでいいですが、まだ二人いるし、長男は来年大学受験だし、まだまだこれからかかる。
夫が自営だから、「夫の仕事さえ良くなれば・・」という頑固な思いでいたんですが、もう、それは違うと・・

人生、今の世の中、現実に「安穏」なんてないんですよ。
「裕福」なんて、努力なしに得られないわけで、それこそ悪いことでもしない限り、そういう到達点はないかもしれない。

何もね、人より「裕福になりたい」なんて思いませんよ。
ただ、子供には「人並み」な暮らしをさせてあげたいと、贅沢はさせたくないけど、望むことの妥当なものには応えたいし、教育だけはしっかり受けさせたい。
これはもう、普通の人と同じです。ただの「親心」。

でもまぁ世間の人もいろいろで、「自分のものが欲しい」という理由で働いてるお母さんも多いですけどね。
子供にもまぁ、そこそこ。でもそれより、自分への投資額のほうが断然高い、なんて人も結構いたりしますが・・

で結局、こういう状況になったのはなぜか?
ただ私が「グループの解決策に固執した」からで、そうした考えを信じて、その策を続行してきたからに過ぎない。
夫に無理をさせ、自分も無理をし苦しんで、家族に不自由な思いをさせてもなお、それでも私はどこか夢見ていた。

普通に道理を考え、因果を考えれば、冷静に修正箇所を見つけて改善する措置はできるものなんですよね。
もちろん、予期せぬ想定外の事象が起こることもありうることですけど、でも、またそこから、次へ次へと考えて動いていけばいいわけで・・
そんなふうに生き抜いていく中で、人は心も理性も養われていくもんではないかと思います。
ただ、普通に。「何がいけないのか?」「何が間違っているのか?」「善い方法は何か?」「善いことは何か?」と考えていく。

特別なことじゃない。普通に考えて、普通に感じていく。そういう感覚が大事だろうと、なんか今はそう思います。

>会合なんかで、幾度、「それって人としてどうなんでしょうかね?」って言葉を飲み込んだことか…。

そう、まず「人として」という倫理判断が誤っている感覚の幹部がやたら多いんですよね。
でも必ずそのあとに「グループ特有の価値観」で整合させてしまいますから、末端会員は錯覚してしまうんですよね。
ま、末端どころかうちのほうじゃ圏幹部もそうだと思いますが。

>わたしの母もそんなに言わなかったんですけど、ウチは父が入信してなかったもんだから、地区の方々から「あなたががんばらないとね~」なんてよく言われたり(笑)
あと、小・中と特殊な人材グループとかに入っていたりしたので、その影響は大きいと思います。

そうですか・・
第三者からの「励まし」って、重たいことがあるんですよね。
安易な励ましっていうんですかね、そんな感じで生理的に反発することも、私はよくあります。
子供の頃から何かしら「プレッシャー」を抱えてきてしまうと、いつかどこかで弾けてしまうものかもしれません。
物理的な作用もそうですし、心もまたそうかなと。
支部婦の子供さんがやはり未来部のグループに入っていて・・・心配です。このままずっと親に従順にいくのだろうか・・と。

>ホントの上のほうの方たちは、教義の嘘も間違いも、知っていて故意に情報操作しているようです…
そんなこと、末端は知らなくて当然なんですけど、でもこれって詐欺みたいなもんですよ。

知っているんですか・・
でもなぜそこまで?と思います。
返って反発を招くだけなんだから、素直に改めれば、そのほうが結果的によいだろうと私なんかは単純に考えてしまうんですが。

>それに、グループを巡って経済活動も行われているんですから(外郭団体など)
生活がかかっているメンバーだってたくさんいる。
…なんて考え出すとキリがないんですよね。
わたしには手におえない問題です。

これはほんと、本部に職員が沢山いて、それも学会から給料貰ってるというのは昨年知ったばかりです。
驚きましたね・・財務が給料になってるとは。副会長とか職員だなんて知りませんでしたから。
トップの幹部もみなサラリーマンだとばかり思ってました。
たぶん、地元幹部もそうは知らないんじゃないでしょうかね・・

>そういうの、知りたくはないんだけれど、でも知っておかないと自分のこどもも家族も友達も、守れないから。

確かにそうですね。
生きるというのは、常に新たな選択の遭遇ですから、その判断の仕方を間違って覚えてしまうと、現実の道からどんどん乖離していくものだと思います。
そういう意味で、私は自分が間違ってきたように、子供にも同じ間違いをさせたくはない。そして自分のこれからも、未来もまだありますから、自分の生き方で周りに影響を与えていくのは必然だろうと考えれば、「知っていく」ことは大事だと思います。

嫌なことは、嫌なものは、全て「反面教師」にしていく。
それが一番得ではないかと思いますね・・

2007/07/19 07:34 | みみちゃん [ 編集 ]


 

みみちゃん

>そのくらいグループの人の「思い込み」は強烈なものなんだと思います。
そういう意味で、この人達の脱カルト工程は難儀かもしれませんね・・
虚構の中で信仰してきた自分に気付いた時、この人達は、どう過去と今と未来を整合させてゆくのだろう・・そう思うと、その苦しみが心の近くに迫ってきてざわざわしてしまいます。

これなんですよ。
わたしも、脱会してからずっと、このことが頭から離れないんです。
やっぱり、親しかった友人(現役メンバー)なんかには、自分が知ったことを話したりするじゃないですか。
そうやって話して、自分の家に帰ってきて、なんとも言えない気持ちになります。
もしかしたら、わたしと同じ苦しみをこれから味わうんじゃないか…とか思うと、やりきれないですよね。

(言っても「おかしくなっちゃった」と思われておしまいなことも、確かにありますが(笑))


>どう見ても「あんたは絶対違うから」って人、結構いましたよ。先輩幹部に多かったですが。

ありました。ありました。
会合なんかで、幾度、「それって人としてどうなんでしょうかね?」って言葉を飲み込んだことか…。


>ウチは幸い、両親から「使命」とかという言葉は教え込まれてこなかったし

そうでしたか。親からの言葉は、影響が大きいと思うので、良いことでしたよねホントに。
わたしの母もそんなに言わなかったんですけど、ウチは父が入信してなかったもんだから、地区の方々から「あなたががんばらないとね~」なんてよく言われたり(笑)
あと、小・中と特殊な人材グループとかに入っていたりしたので、その影響は大きいと思います。


>問題なのはグループの役職持ってる人達なんです。
>そういう人材育成ならぬ「役者作り」をしてきたトップの業は罪深いものがありますよね・・

そうですよね。
ホントの上のほうの方たちは、教義の嘘も間違いも、知っていて故意に情報操作しているようです…
そんなこと、末端は知らなくて当然なんですけど、でもこれって詐欺みたいなもんですよ。

はじめに書きましたが、「虚構の中で信仰してきた自分に気付いた時、この人達は、どう過去と今と未来を整合させてゆくのだろう・・」というのは、
中堅幹部さん(支部や本部幹部)あたりなんかは、かなり深刻なんじゃないのかなって思います。
下手に組織の実態に気づいてしまっても、精神的な崩壊を招きかねません…特に婦人部は。

それに、グループを巡って経済活動も行われているんですから(外郭団体など)
生活がかかっているメンバーだってたくさんいる。
…なんて考え出すとキリがないんですよね。
わたしには手におえない問題です。


>私は信じてきたものが根底から崩れても、なんていうか、「グループ」よりも「法」に従ってきたようなところがあるので、あんまり内面的ダメージってないのかもしれません。

良かったです(^ー^)
わたしも、共感するところです、これは。
組織の実態に気づいてから、「自分がずっとグループの中で抱えてきた思いが、間違いじゃなかった」って解ってホッとしたところもありましたから。

ただ、世の中の色んなことを知っていくにつれ、
自分のグループのことに限らず、なんて卑怯な汚いことをする人間がいるんだろうか…って、
それが一番ショックかなぁ…
そういうの、知りたくはないんだけれど、でも知っておかないと自分のこどもも家族も友達も、守れないから。
そういう気持ちで板ばさみのこの頃でしたので、コメントいただいて良かったです。


どんなに悪賢い人間がいようと、
「いずれにしろ、信仰というのは内面的なものですし。「心」の中で行うことですから、どこでも、誰も、自分ひとりでも、ま、いいんじゃないかと。」
ってみみちゃんが仰るような、『人の心』までは誰も奪えないんですもんね。



>自分が努力したことは、他人の評価はどうあれ、自分の心にはすべて記録されていくものなのかも、と。
まさに「自分の自信の素」とは、その後の、これからの、「自分の生きる力」になるものなんだと思います。

このようにこれからは、こども達も自分自身も、本当の自信を身につけていきたいですよね。

2007/07/16 21:21 | 散歩虫 [ 編集 ]


なるほどなるほど・・ 

散歩虫さん、こんにちは。

>んで、大人が思っている以上に、こどもって色んなこと考えていたりするのに、たまに驚かされます。

そうですね。
親子とはいえ、視点は違いますからね。
「違うよ」と反論されるのは嬉しいですね・・
「そうか、そうだね・・」と、気付いたり考え直したりできるから。
自分の経験に驕ることをさせない。足を引っ掛けられる、っていう感覚でしょうか。
それが私には、冷静さと客観性を取り戻す、よいきっかけでもあったりします。

>また、自分が学んだり行動したり、努力して積み上げてきたものも、実績としてちゃんと自分の自信の素になるものです。

これはつい最近、一番下の娘から訴えられて(そんな感じで話してました)そうか・・と、改めて思いました。
自分が努力したことは、他人の評価はどうあれ、自分の心にはすべて記録されていくものなのかも、と。
まさに「自分の自信の素」とは、その後の、これからの、「自分の生きる力」になるものなんだと思います。
これは、よく考えれば、やはり私もそうだ・・と実感できることですしね。

>人から(他のメンバーから)そういわれただけで、思い込まされているというか、自分で積み上げたものではないです。
自分の存在が、そういうあやふやな(科学的な根拠のない)ものに依っている、って気づいちゃうのは、たぶん恐怖ですよね。
だから本能的に、気づきたくなくて怒ってしまうのでは…
なんて思ったり、しているんですが。
(↑これは、わたしが在籍していたグループに限ることではなくて、カルトなグループ一般についてのことです)

これは、ああ、なるほど・・と思います。
そうなんですよね。
自分のことでもそうだし、グループの人を客観的に・・ひいき目ではなく中立に・・見ていても、「それはあなた自身の努力ではない」と思うことが多々ありました。
それと同じく、「それは私の努力ではない」と思うことも。
どんな評価を受けようが、自分が努力したこともしてないことも、誰よりも自分が一番知っているわけで、そういう自分の心に感じる思いを打ち消すかのような「エリート意識」の押し売りは、自省を阻害する誤った関わり方だと思います。
「同じ仲間」だからという擁護精神は、心を澱ませるだけでなく感覚を麻痺させてしまうものかもしれません。
そう、モルヒネのように・・痛みはあるのに、その痛みを遮断させても、患部は悪化している・・そんなふうに。

>ただ、グループでは「生命」とか「人間に対する責任感」に、グループ特有の意味を持たせていて、
わたしが書いたのは、その特有の意味からの解放、という意味でした。

う~ん、なるほど。
そうですね、それならわかります。
私もそう思います。
ほんとは何も「特有」な感覚なんじゃなく、「人間誰でも」のはずなのに、「自分達だけは違うんだ」「自分たちだけが」「私達こそ」という意識へと誘っていくんですよね。
もうこれには、前からずっと、違和感ありましたね・・
「違うんじゃねーのか?」って感じで。
どう見ても「あんたは絶対違うから」って人、結構いましたよ。先輩幹部に多かったですが。

>その特有の意味から、みみちゃんが仰る「もともと誰にでも、本然的にある心」の意味に、していくのが脱カルトなんかなぁ~って、
やっと解ってきたのです。

う~ん・・そうかぁ・・
これはなんかヒントですね。
あ、でも、そういうふうに地区の人とかには話してたんですけどね、どうもあしらわれてしまって。
も、「みみちゃん、おかしくなっちゃった」って感じみたいで、引かれてしまうんですよ。
私のほうがイカレてるかぁ?って思ってしまうくらい。
そのくらいグループの人の「思い込み」は強烈なものなんだと思います。
そういう意味で、この人達の脱カルト工程は難儀かもしれませんね・・
虚構の中で信仰してきた自分に気付いた時、この人達は、どう過去と今と未来を整合させてゆくのだろう・・そう思うと、その苦しみが心の近くに迫ってきてざわざわしてしまいます。

>意識にのぼっていなくても、無意識の中に刻み込まれてきたものが
少しでもあるのかも、ていうことで。
なにしろ、こどもの頃から聞かされてきたんですもんね~。

う~ん・・
そうですね・・2世と言っても、家庭によりみんな違いますからね。
ウチは幸い、両親から「使命」とかという言葉は教え込まれてこなかったし、ま、父なんかどちらかと言えば「アンチ」だったので、活動系ではなく「信仰者タイプ」でしたから、もう、いつも御書開いて読んでて、朝晩勤行して、題目上げて、それが信心。みたいな感じでした。
だから「お前は特別な人間」みたいなことをいっぺんも聞いたことなかったし、「グループ命」みたいなのはなかったですね。

>そうやって、人の優越感を刺激して、活動させるために。

あぁ・・「活動させるために」っていうのは、ここ数年になって感じるようになりましたよね。
前はそんなことなかったけど。
ほんとに思いやってもらってました。たくさん助けてもらって、それにはもう感謝しかないです。
末端の人はみんな良い人が多いんですが、あまりにも「無知」というか「無頓着」なのかもしれませんね。
問題なのはグループの役職持ってる人達なんです。
そういう人材育成ならぬ「役者作り」をしてきたトップの業は罪深いものがありますよね・・
慈悲心・報恩ゆえとはいえ、所詮は「エゴ」からの発露ですから、まさに本末究境等しちゃってるのがほんとのところかと思います。

>どこも同じなんだなぁって、解ってきてしまうのも、元メンバーにとっては凹んだりすることなんですけどもね~(笑)

ん・・でもそういう人は多いんでしょうね。
私もショックは当然あったし、そういう誤りを認めたくないとも受け止めたくないとも思ってましたけど、性格なのかなぁ?どうも限界までいくと開き直っちゃうというか居直っちゃうというか、コワレてしまうみたいです。
私は信じてきたものが根底から崩れても、なんていうか、「グループ」よりも「法」に従ってきたようなところがあるので、あんまり内面的ダメージってないのかもしれません。どこかしらけたところがある。自分でも「他人事」のような感覚だなぁ~と、ちょっと嫌悪感もあったり。
年齢もあるんでしょうかね、「ぐずぐずしてたらもったいないや」っていう思いが強くて、「まぁ、じゃ次行こうか!」ってな気持ちにスイッチングしてしまうんです。
別にグループの存在はあってもなくてもいいじゃないかと。
いずれにしろ、信仰というのは内面的なものですし。「心」の中で行うことですから、どこでも、誰も、自分ひとりでも、ま、いいんじゃないかと。


2007/07/16 10:25 | みみちゃん [ 編集 ]


 

みみちゃん

こんばんは(^ー^)
レスは、適当で良いですよ~。

>いろんなとこでのコメントというのは

お、正確に言うと、2箇所でしたが。
レスの仕方が鋭い方だなぁって思っていて、わたしには出来ない返し方だなと(笑)


>そういうとまた「だからそれが一緒ってこと」とまた諭されるわけで。

息子さん、なかなか言いますね(笑)
でもこども達と遊ぶのって、いいもんですよね~。
んで、大人が思っている以上に、こどもって色んなこと考えていたりするのに、たまに驚かされます。


>ああいう意識って潜在的なもののようで、それを指摘されるとついカッときてしまうのは誰にでも共通してるように思います。

そうなんですよね。その「潜在的」っていうのに、とても問題があるのかもって気づいたのが、つい最近です。

エリート意識でも、自分が特別だと思うことでも、自信でも、言い方はさまざまですが、
それらは、本当はちゃんと意識されているのが普通なんだと思うんです。

例えば家柄とか、学歴とか、客観的に提示できるものにエリート意識を持つのが一般ですよね。
また、自分が学んだり行動したり、努力して積み上げてきたものも、実績としてちゃんと自分の自信の素になるものです。
そういう実績は、誰に何を言われようと厳然とあるから、あまり揺らいだりしないと思います。

だけど、ここで問題にしている、カルトなグループのエリート意識は、
その根拠が宗教的なファンタジーに基づいているし、
人から(他のメンバーから)そういわれただけで、思い込まされているというか、自分で積み上げたものではないです。
自分の存在が、そういうあやふやな(科学的な根拠のない)ものに依っている、って気づいちゃうのは、たぶん恐怖ですよね。
だから本能的に、気づきたくなくて怒ってしまうのでは…
なんて思ったり、しているんですが。
(↑これは、わたしが在籍していたグループに限ることではなくて、カルトなグループ一般についてのことです)


仰るように、
>これはグループの人に限らず、ある理念や信念に価値を置く人はみなそうかもしれません。

こういうことはあるでしょうねぇ。


>>「生命」と「人間に対する責任感」
>これらからまだ、解放されていないのかもしれませんね。

>これって、開放するものなのか?って思うんですよ。
>もともと誰にでも、本然的にある心ではないでしょうかね?

うん、文字通りの意味であれば、みみちゃんの仰るように、誰にでもあるものだと思います。

ただ、グループでは「生命」とか「人間に対する責任感」に、グループ特有の意味を持たせていて、
わたしが書いたのは、その特有の意味からの解放、という意味でした。

その特有の意味から、みみちゃんが仰る「もともと誰にでも、本然的にある心」の意味に、していくのが脱カルトなんかなぁ~って、
やっと解ってきたのです。

人それぞれ、自分の中で気にならなければ、それでいいことなんですが、
わたしはとりあえず、今、自分としっかり向き合っておこうと思って(^ー^)
意識にのぼっていなくても、無意識の中に刻み込まれてきたものが
少しでもあるのかも、ていうことで。
なにしろ、こどもの頃から聞かされてきたんですもんね~。

>そういう多様な条件から受ける影響から意識をせざるを得ないから、

でも↑こういう一面もあるんじゃないかなとも、同時に思います。
煩わしいものだと感じなければ、別に意識する必要もないんですもんね。



とにかく、「自分のグループのメンバーは特別な存在なんだ」って思わせる言葉があるのは、
さまざまなカルトグループに共通することだっていうのは、学んできてわかりました。
仏教系グループでなくても、カルトなグループでは、そういう風に教え込まれるようですよ。
そうやって、人の優越感を刺激して、活動させるために。

どこも同じなんだなぁって、解ってきてしまうのも、元メンバーにとっては凹んだりすることなんですけどもね~(笑)

2007/07/14 21:31 | 散歩虫 [ 編集 ]


ちょっと思うこと 

散歩虫さん

こんにちは。
レスを頂いてて、それに返さず・・

ありがとうございます。
いろんなとこでのコメントというのは、さて?どこかな?と思うんですが・・

語彙はまぁ・・使い分けてますね。
気分によって。相手によって。シーンによって。
いつも同じとか単調なことがあまり好きじゃないので。

息子には「小学生と精神レベルが一緒」とか、失敬な解釈されてるようですが。
子供の友達からは共感されるんですけどね・・
そういうとまた「だからそれが一緒ってこと」とまた諭されるわけで。

呆れられてます。

そんな気分屋さんの私ですが、私も最近いろいろ考えてることあり、ちょっとそれとかぶってることが書かれていたのでコメントさせてもらいます。

エリート意識についての考察は、なるほど理解できるし全て共感なんですが、ああいう意識って潜在的なもののようで、それを指摘されるとついカッときてしまうのは誰にでも共通してるように思います。

ナゼでしょうね・・条件反射みたく感情的に激高するのは客観的に見てもわかるんですが、と同時に今まさに自己嫌悪がふつふつと湧いてるであろう様子も、それと葛藤している相手の心も、反論している言葉から伝わってくる・・

全ての言葉に心を伴っているのが、言々区々からわかるこtが往々にしてあるもんです。

私は直接指摘されたというより、そういう考え方をされて見られている私はどうしようもなく劣った人間なのか?と、そう逆質問されて気付いた・・って感じなんですが、それをきっかけに自分の意識について改めて認識し直してみたら、あるはあるは、自分の中に嫌悪感いっぱいの意識が。
もう満載でしたね。ほんと恥ずかしい限りでした。

だいたいの人はそうした指摘されると、まず「怒る」傾向があるようで、でも、正当化する反論の切り返しをすることから、きっと心の奥では・・意識にはなくとも・・動揺を感じてる。

自分の主張する論理と実際の言動を整合させるためには、蔑視しているという潜在的な罪悪感を打ち消さないと自分の信念は揺らいでしまいますからね。
揺るがしたくはない・・それが、自分の考えに対する固執なんでしょうが、本人はそれを「固執」とは捉えたくはないんでしょう。あくまでも「是」とする価値観に準じてる意識でいるのでしょうから。

これはグループの人に限らず、ある理念や信念に価値を置く人はみなそうかもしれません。

だから「信念がある」という人は、偏屈・頑固に感じられるし、逆にそんなものとは無縁だと開きなおっちゃう人は、全然違う論理を平気で同時に使ってしまう。で、やってることも言ってることもちぐはぐに感じられる。まぁあまり信用できないかな?と。

で、また話が逸れたので戻します。

>「生命」と「人間に対する責任感」
これらからまだ、解放されていないのかもしれませんね。

これって、開放するものなのか?って思うんですよ。
もともと誰にでも、本然的にある心ではないでしょうかね?
人間であれば、意識的にではなく自然に発露する心・・そういうもんじゃないかと。

誰にでも普通にそういう感覚ってもともとあるものだと思うんです。
でも、生きていて、いろんなことがあって、環境もさまざま違ってて、そういう多様な条件から受ける影響から意識をせざるを得ないから、煩わしいものだと感じて、考えてしまうんじゃないでしょうかねぇ。

なんかフッとそう思いました。


2007/07/14 14:19 | みみちゃん [ 編集 ]


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