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2007/09/26 (Wed) 地獄への恐怖 親との関わりからの考察

 
カルト宗教団体では、この信仰を捨てると「地獄に堕ちる」などと
恐怖感をあおることが、よく見受けられるようです。
また、教団を批判する者は「魔」、キリスト教系では「サタン」などと言い
信者は、批判者は最悪な存在なのだと教えられます。

実際、脱会するときに、そのグループのメンバーに、
「地獄に堕ちるよ」と脅された例も、勉強会などでお聞きしますし、
なんだかそんな恐ろしいことを人が人に言うということ自体が
わたしには恐ろしいことだと思います。

 
わたし自身の場合ですが、「浄土と言うも穢土と言うも別のようそうらわず」という日蓮の御書のとおりに、
心の持ちようなのだと思っていましたので、
脱会時には、「これで地獄に堕ちずにすむ」なんて思ったのを覚えています。

(心理を体系的に学ぶうちに、そういう目に見えないものへの恐怖は、アホくさっ!という気持ちに変わっていきました)

個人的な意見ですが、地獄に堕ちることへの恐怖は
それを言った人のことが、本人の中でどうでもよくなったときに、
消えることもあるのではないでしょうか。
例えば教祖とか、先輩幹部とか。
そういう人たちのことを、彼らもまた自分と同じ人間だと、
間違うこともあるし全能ではないのだと思えたときに、
その人たちがふれまわる「地獄」という言葉も、
たんなるひとつのその人の概念に過ぎないのだと、思えたりするのではないかなと思います。


しかし、「地獄」という言葉には、死後に行く場所としてのもの以外に、
もう一つの恐怖の正体として、
「心根が堕落してしまう」ということも挙げられます。
宗教団体に入会する人たちは、大概、良いことをしたかったり、
人生において正しい道を歩きたいと思っている人が多いでしょう。
いわゆる「良い子」として育った場合です。
親の言うとおりに、親の期待に応えたいと、過度に適応してしまうように育った場合、
「あんたは悪い子」と言われるのが一番辛いし、恐怖なのではないでしょうか。

そのような家庭では、「親の言うことを聞かなければ、あなたを愛しません」という親からのメッセージを、
こどもが多分に受けていることが多いようです。
ですから、こどもは、必死で良い子になるよう、過剰に無理をしてしまうのです。
愛されるために。親から、見捨てられないために。

「教義に反抗すると、地獄」
これは
「親に反抗すると、愛されず、見捨てられる」
という心理とリンクしているように思います。

だから、脱会は自立への一歩なのです。

愛するがゆえに、こどもを一定の枠にはめて育ててしまう実情も
わからなくもないですが、
親がいなくなった後も、こどもは自分の力で生きていかなきゃいけないのです。
だから、自分で人生を歩いていける力をもらうことが、
本当はこどもにとって、一番必要なものだと思います。
(まっとうな宗教は、自分で歩いていく力、その原動力を与えてくれるものですね)



先日、N師が教えてくださったことも、書いておきます。
日蓮御在世当時、庶民の大半は、文字の読み書きができません。
そういう庶民を、どうやって教化していくのか。
わかりやすい方便として、日蓮は、
三悪道(地獄・餓鬼・畜生界)に堕ちるよ、と教えたのだそうです。

チベット仏教にも、憤怒像という、恐い顔をした仏像がありますが
これも、ビジュアルで、戒を犯すしてはいけないんだぞー!と
教えているのだそうです。

こどもに、いけないことをしたら顔をしかめて見せること、
また「あんまり遅くまで遊んでいると、恐い人が来て連れて行かれちゃうよ」なんて親が教える事とも、似ていますよね。

また、人々は罰から逃げまくっているけれど、
罰が当たるというのは気づきをいただくことで、
本当はとてもありがたいことなんだというお話もあり、そうだよなぁ~と納得して帰ってきました。
それによって、自らを省みて、姿勢を正せるのですから。



以上、地獄について、思うところをまとめてみました。
今、地獄は何かと聞かれたら…
わたしにとって地獄とは、自分に嘘をつき続けて生きること、
自分をごまかして生きること、
です。
そういう意味では、今は最高にしあわせです。


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きままにのんのんさん

こんばんは☆

>顔を会わせて、語り合う事が心の回復の一歩にもなるような気もします。

まさしく。そうですよね。
この一文が、ほんと大切に思います。

そっかぁ、近かったらなぁ…助け合えたのになぁ。
今日も、子守をしてきたばっかりなんですよ。


>お互い様ですもの

…とっても和むお言葉、ありがとうございます(泣)


>どうも、私って困ってる人とか悲しんでる人がほうっておけない

いやいや、これはとっても大事な資質だと思いますよ。
特にお子さんが大きくなるにつれて、こういう能力は生かされていくんじゃないかなって。
今までは組織という縛りと、教えられた方法が良くなかっただけなんだし、
そのベクトルを適切な方法へと変えたら、これからホントに役立つ資質ですよ~。

「自分を大切に思いつつ、人を敬ったり慈しんだりする心は捨てたくはないなぁと」
これ、わたしも胸に刻もうと思います(^ー^)


こちらこそ、ありがとうでした!
いつか、お会いできたらいいなぁと願いつつ。


2007/10/26 00:03 | 散歩虫 [ 編集 ]


 

こんにちは。
またまた、お返事をありがとうございました。

>わたしがメンバーだった時には、やっぱり言えなかったんだろうなぁって、脱会してからしみじみ思いました。

私もお詫び行脚をしたのですが(選挙で迷惑かけたので)、申し訳なくて低姿勢で謝りました。
言えなかったあれこれを言ってくれたのですが、そのあれこれ聞いて、さらに申し訳なくなり凹みましたねぇ。ははは

>ネットやメールじゃなく、ちゃんと安全に話せる場所が増えたらなぁって。

あ~私も同感です。
ネットだと憎悪や被害者意識が増幅されるような気もします。
言葉の暴力が横行する場所でもありますしねぇ。
自分も過去、ネットでの言動で反省点はあります。
顔を会わせて、語り合う事が心の回復の一歩にもなるような気もします。
そういった場所が増えるといいですね。
勉強会も遠いので、子育てが一段落ついて、時間に余裕ができたらいつか参加したいなぁって思ったりもします。

最後のかつてのご恩って何だろう(^_^;)
私はご恩はないと思ってます。
お互い様ですもの。
どうも、私って困ってる人とか悲しんでる人がほうっておけないおせっかいやきなんですよね。
共依存なのかなぁ。
かつての教団で役職をいくつも持っていたのですが、常に部員さんを助けてあげなくちゃとか幸せ祈ってあげなきゃとか動いていたのでその行動様式が残っちゃってるのかなぁ。
まぁ、自分を大切に思いつつ、人を敬ったり慈しんだりする心は捨てたくはないなぁと最近は思ってますけど、ん~どうなんでしょう。汗

何度もお返事をありがとうございました~
ではでは~

2007/10/25 15:05 | きままにのんのん [ 編集 ]


 

きままにのんのんさん

こんばんは。
暗くなんて、ないですよ。
誰だって、色々あるのが人生ですから(^ー^)

以前までは、2世は入信動機がないと思っていたんですが、読ませていただいて、やっぱり活動に励むようになるきっかけというのは、2世にもあるんだなぁって思いを強くしました。
わたしも、のんのんさんと同じように、本気で真剣になったのは家族の問題や、母を亡くしたことが大きかったのだと思いますし。

のんのんさんが、弟さんに対してなんとかしてあげたいという思いを持ったこと自体は、家族としての尊い感情だと思います。
誰かに対して回復を祈ることも、わたしは良いことだと思っています。
でも活動のサイクルにはまってしまうというのが、問題あるところですよね。
それも恐怖で縛ったりするというのが。

信心怠ると悪い事が起きる、っていうのは、2世3世のメンバーなら子ども時代から無意識に刻まれるし、そしてそれが一番良くないことだと思います。


>怒りのはけ口ってどこにって思うとないような・・・
と仰るように、脱会後にまともに話のできる場所がない、というのも
本当に辛いことでもありますよね。
あ~わかるなぁ~って思ったのが、うちも主人に気持ちを理解してもらうのは難しかったということです。
それに、メンバーじゃない友達の中にも、何人かはわたしが脱会してからグループに対して本音を教えてくれた人もいました(笑)
「本当は嫌いだった」とか「辞めてくれて良かった」とか。
わたしがメンバーだった時には、やっぱり言えなかったんだろうなぁって、脱会してからしみじみ思いました。

わたしも本当にいつも思ってるんです。
のんのんさんや皆さんとの、こういうお話が、ネットやメールじゃなく、ちゃんと安全に話せる場所が増えたらなぁって。
しかし、勉強会などに参加させていただくようになって、こういった問題に身を削って力を尽くしてくださっている方々がたくさんいるのだと知って、希望も湧きました。

ご両親のことも、いろいろ葛藤があるのでしょうね。
わたしはもう両方ともいないので、そういう問題はないんですけど、
生きていたら悩むだろうなぁ…。
しかし、まずはきままにのんのんさんが、安定した安全な環境で
日々の幸福を思いっきり味わうことを、わたしは願っています!

ゆっくり、行きましょう、お互いに(笑)
自立って、決してひとりきりで歩いていくことではなく、
集団の中に居ながらも、周りに流されずに自分で考えて
自分の進む道を自分で模索していく能力なのかも、って
最近思います。
依存と助け合いは違いますから、のんのんさんの身近に、手助けをしてくれる方がいらっしゃれば、大いに活用して欲しいです。
家族の中でも、地域社会の中でも、その他の様々な集団の中でも。

ネットには問題も多々ありますけども、こうしてのんのんさんと出会えたのも本当に感謝です。

コメント、ありがとうございました。

(追伸:かつてのご恩、忘れてませんです☆)




2007/10/21 23:10 | 散歩虫 [ 編集 ]


 

こんにちは。
恐怖心っていつから心にあったんだろうと考えました。
思い返してみるに、子供の頃から恐怖って刻まれていたのだなぁと。
信心怠ると悪い事が起きる、みたいな。

私の場合、中学生くらいの思春期反抗期頃あたりから活動事態から離れてて、女子部時代もほとんど活動はしてませんでした。
もう、こんな変な宗教イランとまで思ってましたねぇ。

20代中盤のある時、弟がバイク事故で一ヶ月意識不明の重態になりました。
その時、思ったのです。
私が信心怠っていたから悪い事が起きたのだと。(今はそんな事ないと言えるんですけど)
弟はバイクのお金がないと言ってたので私が資金を貸してあげてました。
自分で自分を責めましたね。
私がお金貸したから事故にあったのだと。
弟とは仲が良かったので辛かったんでしょうね。
そこから活動に目覚めてしまったワケですねぇ。
意識は戻ったんだけど障害が残ったので「私が信心(活動)頑張って弟の宿業も変えてみせる」みたいな変な使命感もっちゃってました。
他にもいろ~んな使命感背負っちゃいました。
活動していくうちに恐怖感と自己肥大が強まっていったのだろうなと、今思います。
活動で自分が壊れそうになっておかしいって気がついてって時に弟が亡くなりました。
事故から10年後でした。
私が妊娠中だからと危篤だった事も家族から教えてもらえず、亡くなった後に聞かされましたね。
ショックでした。
切迫早産気味だったので、お通夜だけ出席しました。
その友人葬のとり行い方がこれまたヒドかった。
そこで怒りMAXになりましたねぇ。

怒りのはけ口ってどこにって思うとないような・・・
で、過去ネットがはけ口になっちゃってました。
主人に言っても流されておしまいでしたし。
脱会も悩みに悩んで結論出したのに「もっと早く脱会してほしかったなぁ」なんて言われるし。
迷惑かけないように気を使いながらしてきたし、ケンカもなかったけれど、主人は迷惑だったんだなぁと余計に落ち込みましたねぇ。

今、怒りが消えたのは過去の自分を受け入れて納得したからかなぁ。
自分は争いが嫌いなのも、きっと人間好きだからかなぁとか。
まぁ、過去、正義の味方になって争いに率先していたのも事実なのですけど。
反省点はたくさんありますねぇ。

記事、読ませていただきました。
ありがとうございます。
心の拠り所かぁ。
う~ん、私の心の拠り所は主人と子供達かなぁ。
一歩一歩踏みしめて自分を見つめながら歩いて行こうと思います。
杖はとりあえず、いらないかなぁ。

両親も救い出してあげればいいのでしょうけど、今はそこまでの精神力が残ってないですねぇ。
悩むけど。

おぉ、なんだか暗いなぁ。
はい、電気!電気!
文章は暗いですが、日常生活は笑いもあるし至って元気です。
よそ様のブログで、さだまさしバリに自分語りしてしまいました。ははは
失礼しました。
ではでは~

2007/10/21 14:38 | きままにのんのん [ 編集 ]


 

きままにのんのんさん

おはようございます(^ー^)

>小指が思い切り立ってましたねぇ。

これに、爆笑しちゃいました(笑)
いや~のんのんさんの表現ってホント楽しくなちゃいます。
(楽しんでもいられない話題ですけど、どうにもこうにも笑っちゃう…)

>私は小学校1年生まで、御本尊が紙でできてるって知りませんでした。

この感じはでも、わかる気がします。
こどもにとっては、仏壇全体が、「恐れ多い偉大なもの」っていうイメージが強いんでしょうね、きっと。
確かにわたしも、かなり大人になるまで、御本尊の製造工程とか処分の仕方とか、考えもしませんでした。


>悲しみの表現が怒りでこの怒りが正義になって

これは、確かにその通りなんです。
怒りって、悲しみなどの感情に蓋をする役目があるそうです。
あまりに悲しみが強すぎて、それをそのまま感じると、自分が壊れてしまうような場合、
怒りでそれに蓋をして自分を防衛するという。
だから、「守ろうとしていた」とのんのんさんが仰ったことは、まさしくその通りだったのだと思いますし、
わたしも同じ過程を経ました。
そして同じように、今は怒りがなくなって、そういう意味では快適な日々が嬉しいです。

でも一定期間は怒って当然だと思いますし、逆に怒りを吐き出さなかったらたぶん、潰れちゃっていたのではないかと思ったりもします。


>よく分からない自分を研究して行こうかなぁと思う今日この頃

わぁ。のんのんさん研究は楽しそうですね。ワクワク。
なんて言ってる場合じゃないですが、
自分自身と仲良くするために自分を知ることは、意味のあることだと思いますです。
(あんまり根詰めて自分を見つめると、どつぼにはまるので要注意です(笑)わたしはよく、はまります)


ちなみに、自立ですが、
骨折が治るまでは杖が必要なように、ちょっとくらい何かや誰かに頼るのは悪いことじゃないと思います。

楠山先生もアエラの記事でそう仰っていたような…
と思って探してみたら、みれいさんのブログにあったので、お借りしちゃいます☆(みれいさん、無断ですいませんです)
http://mirei2007.blog88.fc2.com/blog-entry-17.html#more
プリントアウトするか、拡大すると読みやすくなると思います。
お時間のあるときにでも、どぞ。
(あ、もう読まれているかな)




2007/10/18 08:22 | 散歩虫 [ 編集 ]


 

こんにちは。
散歩虫さん、お返事をありがとうございました。

散歩虫さんもゴルァなお気持ちありましたかぁ。
私も怒りでいっぱいの時があったのですが、自分の過去を振り返るに怒りを持つ事で自分を守ろうとしてたのかなぁ。
怒りで自分の事、自己正当化をしてたような。
悲しみの表現が怒りでこの怒りが正義になって、みたいな。
ぬぁに?あなたも正義?ゴルァみたいなのがありましたねぇ。
今はもう怒りもないです。
なぜないのか自分でもよくわからないです。


>やっぱり、思い入れがある証拠なのでしょうね。自分が物心ついたときから、向き合ってきた対象物だから。


そうか、思いいれってのもあるからエエェェなのかなぁ。
考えてみたなら私が本部へ返した本尊も燃えるゴミ行きの本尊も同じ焼却処分ですもんね。
脱会の時、
「くそ~こんな偽本尊、返してやる~」と思いつつ、御本尊マキマキする手はおっかなびっくりで小指が思い切り立ってましたねぇ。
自分でヘタレだなぁなんて思ってましたが、自立してなかったんだ~と今になって納得。
今、思うに返さなくても別に家に置いていてもよかったかなぁと思ったりもして。

余談なのですが、私は小学校1年生まで、御本尊が紙でできてるって知りませんでした。
仏壇に張り付いていて仏壇丸ごとを「御本尊様」と言うものだと・・・←アホですねぇ
で、少年少女部員会の時に幹部が「紙だと思わずに・・・」と指導してたのを聞いて「エエェェ!!!」と衝撃を受けた
・・・ってこんなアホ話はどうでもいいですね。

う~ん、なんか、自分でまだ自立できたとは言えませんが自立するぞって気持ちはあります。
よく分からない自分を研究して行こうかなぁと思う今日この頃であります。

2007/10/17 15:09 | きままにのんのん [ 編集 ]


 

きままにのんのんさん

おはようございます(^ー^)
ようこそです☆コメント、ありがとうございます。

>すご~く勉強になるので

恐縮でございます…(;´▽`A``
わたしも、いろんな方々に教えていただいているばっかりなのです。
逆に、「これは違うんじゃないの?」ということがありましたら、遠慮なくご指摘いただけたらと思います。


いやいや、わたしも脱会時は無我夢中で、のんのんさんと一緒ですよ。
決して冷静ではなかったです。
「退転者」はそうでもなかったけど、「忘恩」という言葉は腹が立ちましたね~。
くだらないこと教え込んでおいて、恩だと~?ゴルァ~!みたいな。
しかし今は、かつての組織に対し、多少の恩も感謝も感じています。
色んな意味で、鍛えていただいたなぁと(笑)

「恩」って、自発的に誰かに対し感じるもので、
「恩を忘れるなよ」なんて脅したり、要求したりするものではないですよね、本来は。
要求すると、罪悪感を刺激するマインド・コントロールになっちゃいます。


>私の場合は親にと言うより、宗教が親になっていたように思うのですけど違うかなぁ。

これは、深いというか、鋭い視点なのではないでしょうか。
わたしの場合は、父親がダメダメだったので、余計に宗教に父性を求めていたところはあったのかもしれないと、
読ませていただいて思ったりしました。


>自分で自分の思考に自信がもてないですねぇ。

これだけ客観的にご自身を見つめることが出来ているのなら、
もう充分、大丈夫なんじゃないでしょうか(^ー^)


>御本尊は燃えるゴミに出しました~♪なんて話を聞くと「エエェェ!!!」
>これは散歩虫さんはどうですか?

そうですね、どうなんでしょう(笑)
あんまり考えたことなかったですけど、わたしはのんのんさんとは、
ちょっとニュアンスが違うかなぁ…
もし燃えるゴミに出されているのを見かけたら、「あらららら…」と思うかもしれません。
でもそれ以上でもない、というか。それで罰とか何かがあるとは思いません。

他者が御本尊をどうしようと、それほど感じることはないのですが、
でも自分では御本尊をそんな風に捨てたりはしないです。
御本尊に、罪はないと言うか。
やっぱり、思い入れがある証拠なのでしょうね。自分が物心ついたときから、向き合ってきた対象物だから。

(っていうか、わたしは学会版の御本尊の前の、母の御本尊を返して欲しいなって思うことはあります。そっちの方が、愛着があるから。傷んでいるということで、取替えということになってしまったんです。しかし、それこそ、焼却処分になってたりして…)


>最近、浄土真宗の法話を聞く事があったのですが、気付きをたくさんいただきました。
>なんて言うか痛い所をぐいぐい押される感じと言いますか。

なんか、指圧のようですね(笑)心がほぐれるんでしょうね~。
伝統宗教で修行をなさってきた御僧侶のお話って、本当に心のつぼを知っているなぁという想いは、わたしも感じています。

(勉強会でも色々教えていただくのですが、
先月から地元のお寺で、法華経の講義を聞かせていただいてもいます。)

今までの組織が、いかに異質だったかが、今更のようにわかりますよねぇ…


こちらこそ、のんのんさんに、たくさん教えていただきました。
ありがとうございます。

わたしも、きままにのんのんさんにも、みみちゃんにも、
笑いをいただいてます。
きっとこれには、内輪でしかわからない笑いも含まれますね(笑)


2007/10/09 08:23 | 散歩虫 [ 編集 ]


 

みみちゃん

おはようございます(^ー^)

充実されているようで、なによりです。
いやホント、忙しいのは幸せなことだと思います。
仕事があるって、ありがたい…


>私はこれは人によってさまざまなのかなぁと思うんですが、実はここが「何に対して恐怖なのか」を見極める大事な点だと思うんです。

>「言葉」なのか、自分に向かって「言う」という「行為」に対してなのか、その行為をした「意図」に対してなのか。
それとも、教祖的な人物や親とかいった「人物」に対してなのか、目に見えない絶対神の類に対してなのか、それとも自分の中にいる「自分」に対してなのか・・

細かく書いてくださいましたが、確かにその通りとわたしも思います。
仰るとおり、刷り込みの程度や経験値によって、
人それぞれ、違うんでしょうねぇ。


>そこに「自分を肯定されない」「認められない」という抑圧を「言葉そのもの」に投影させているからではないでしょうか。

これも、そうかもしれないですね。
肯定されない孤独感を、投影していると言うことも考えられますよね、確かに。
それも、今まで特別な絆を感じていた仲間から、言われるんですから。「あんたは地獄行き」って。
こんな全否定のされ方は、他にないですね、考えてみたら(笑)


「地獄」という言葉って、これほど長い間生き残ってきたからには、
やっぱり人が持っている恐怖のイメージの集大成なのかもしれないですね。

(わたしはやっぱり、他者に対して「地獄におちるよ」って言っちゃう人の、内面の在り様が一番怖かったりします…)

なんだか、記事を補完していただいたみたいで、感謝です☆


2007/10/09 08:21 | 散歩虫 [ 編集 ]


 

こんにちは。
始めまして。
みれいさんの掲示板ですれ違ったことがあるのんのんです。
すご~く勉強になるので時々コチラ見てました。

脱会は自立への一歩って知らないうちに私は脱会してました。汗
なるほど~とこの記事、目からウロコで読ませて頂きました。
私は憤怒の勢いにのって自立しないまま、脱会したから仏罰の恐怖におののいていたわけですね。
カルト思考のままだから、恐怖心と言う時限爆弾をしっかり抱えたまま、依存心に流されていたようにも思います。

依存心があるから「忘恩の輩」とか「退転者」とかの言葉にものすごく怒りを持っていたような気もしますね。
そのくせ、自立したと自分でおもい込んでいて、自分にウソをついていたのだなぁなんて。

私の場合は親にと言うより、宗教が親になっていたように思うのですけど違うかなぁ。
う~ん親には悪い子と言われても別にどうとも思わないのですが、メンバーから悪いメンバーだと言われるのが怖いと言うか。
どんな人でも人は好きなんですが、ちょっと過度な好きだったようにも思います。
もう、カリスマ思想コリっコリで思考停止だったので、その思考を変えるのが困難だったのです。
いまだに、自分で自分の思考に自信がもてないですねぇ。汗

御本尊様は命と同じくらい大事なものなのだ、と子供の頃から教えられてきたので、御本尊は燃えるゴミに出しました~♪なんて話を聞くと「エエェェ!!!」といまだに思いますです。汗
これは散歩虫さんはどうですか?

>罰が当たるというのは気づきをいただくことで、
本当はとてもありがたいことなんだというお話もあり、そうだよなぁ~と納得して帰ってきました。
それによって、自らを省みて、姿勢を正せるのですから。

のところで思わず共感。
最近、浄土真宗の法話を聞く事があったのですが、気付きをたくさんいただきました。
なんて言うか痛い所をぐいぐい押される感じと言いますか。

これが宗教の良いところでもあるのではないかなぁなんて思ったりもします。
散歩虫さん、今日も気付きをありがとうございました~

みみちゃんさんのコメントはなるほどと思うのと同時に笑いももらったりしますね~
ではでは~

PS
HNをのんのんからきままにのんのんに変更しました。

2007/10/08 11:50 | きままにのんのん [ 編集 ]


お久しぶりです 

私も最高に幸せです。
たぶん・・。

散歩虫さん、おはようございます。

月初は毎日忙しくてたまらん状態ですが、ま、その中に幸せがあるのかなぁ~・・と。

「地獄」ですが、これはやはり気持ちが苦しいことを言うのは信仰の有無を問わずに誰もが感覚的に知るところではないでしょうか。

もちろん気持ちだけでなく、苦しいと感じる状況をも指してですけど。

仕事で過酷な作業やスケジュールが連日となった時とか、嫌いな人と一定時間過ごさなければならない時とか、やりたくないことしなければならない時とか、そのシンドさを表現する時に使う言葉だったりすると思います。

で、脱会者に向けて言う「地獄に堕ちる」ですけど、これは経典にある文句をただ受け売りのごとく発するだけであって、その言葉を受けた脱会者が、脱会することによって楽になるという思考が堅固であるなら「バカらしい」こととしか思えない戯言になるのではないでしょうか。

それでも多くの脱会者は「そんな戯言」とと流せずに、不愉快に感じるだけに留まらず、「心を刺す言葉」として長く心に痛みを感じてしまうのは何故なんでしょう。

所詮、「戯言」にしか過ぎない言葉に対して「恐怖」を抱いてしまうのは何故なんだろう・・
なんか私はこれがとっても不思議なんです。

散歩虫さんが言われるみたいに、そうした言葉を「投げられることによって」、それを「見捨てられる」というメッセージとして受け止めるとしたら、確かにそこで「崖から突き落とされる」というようなイメージの恐怖として感じるかもと思うんですね。

でも、それだとすると「投げられた」ことに恐怖を感じるわけで、投げた「言葉そのもの」にも恐怖があるのか、そうではないのかが曖昧ですよね。

私はこれは人によってさまざまなのかなぁと思うんですが、実はここが「何に対して恐怖なのか」を見極める大事な点だと思うんです。

「言葉」なのか、自分に向かって「言う」という「行為」に対してなのか、その行為をした「意図」に対してなのか。
それとも、教祖的な人物や親とかいった「人物」に対してなのか、目に見えない絶対神の類に対してなのか、それとも自分の中にいる「自分」に対してなのか・・

これら人がどんな成長過程を経てきたかで皆、似たような症状を表していようとも、真実は「異なる」のではないかなぁ・・と、最近になって私は考えたりしています。

けど、どんな人でも、「コワイ」と感じる言葉を投げられたことによって、そこに恐怖や恨み苦しみを感じて、その気持ちが晴れることなく心に持ち続け、拘り続けてしまうというのは、そこに「自分を肯定されない」「認められない」という抑圧を「言葉そのもの」に投影させているからではないでしょうか。
そうした否定的なニュアンスを含んだ言葉の内に秘めた何らかのもの・・「抑圧そのもの」・・とは何なのか?
自分にとっての「抑圧」とはいったいなんなのか・・?

あまりそんなことはめった深く考えたりしないと思うけど、ちょっと考えてみるのも自分の内面の探求になっていいかも。
そこから新たなことがわかってきたりして、いろいろリンクして自分をちょっと考察してみたりなんかして。
それが生き方を変えるきっかけになるかもしれないと思います。

2007/10/08 08:45 | みみちゃん [ 編集 ]


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プロフィール

散歩虫

Author:散歩虫
議論ある仏教系(日蓮系)宗教団体を脱会した、2世のその後。
カルト問題、マインドコントロール、心理学から見た宗教問題、脱会後のリハビリ、その他いろいろ思ったことを書いています。
★宗教被害の相談窓口は、下のリンク先にあります。
二次被害を防ぐため、くれぐれも安全な場所にご相談ください。

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